生きる意味を失った社会

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少々過激な発言に聞こえるかもしれませんが、えいらんずは30歳の頃、35歳までに結婚しなかった場合死のうと思っていました。

「結婚できなかった場合」ではなく、「結婚しなかった場合」と思っていたのは、当時結婚願望がなかったためです。結婚願望がないにも関わらず、35歳過ぎても独身だったら生きている意味がないと漠然と思っていたのです。
 
 
結果は35過ぎても独身でしたが、死にませんでした。
 
 
今は結婚していますが、当時なぜあのような思いを抱いていたのか。
 
以下は作家の三島由紀夫の言葉です。
 
 
「人間の生命というのは不思議なもので、自分のためだけに生きて、自分のためだけに死ぬというほど強くない」

「自分のためだけに生きることはすぐに飽きてしまう」
 
 
この言葉を聞いてはっとしました。ずっと謎だった答えが解けた気がしました。まさにえいらんずが30歳の頃に感じていたことだったからです。

人がある程度の年齢になると自然と結婚し、子供をもうけようとするのはそういうことなのです。

えいらんずは今は子供はいませんが、もはや私利私欲のために生きていこうとは思いません。それは歳をとるということと関係しています。若い頃は初めての経験が多く、何をやっても集中して取り組めたり、新鮮に感じて楽しめました。ところが歳をとり経験が増えると、世の中の多くのことは既に経験して知ってしまっているか、あるいは今まで生きてきた経験から想像がついてしまうのです。
 
そのために物事を楽しむのが難しくなります。でもそれでいいのです。生物は歳をとり自己の好奇心や欲望を満たすことへの興味が徐々に薄れることで、自分のためではなく子孫繁栄のため、自分の子供を養うために時間を使うようになります。もし自分の欲望への執着がなくならなければ、子供を放ったらかして遊びにいったり、あるいは子供自体産み育てることをしないでしょう。

※もちろんえいらんずは結婚しない生き方も、子供を作らない生き方も否定しません。自分だってまだ子供がいないので、この先できるかもわかりません。

 

それが全てではないにしても、遺伝子を残すというのは生きる意味の1つといっていいと思います。ではそれ以外の生きる意味とはなんでしょうか?

昔は、それこそ戦前や戦時中は、「今日食べること」こそ生きる意味であったといえます。

日本の高度成長期は、国家の繁栄が自分や家族の豊かさと直結していたので、それを追いかけることが生きる意味でもありました。

それが現代は、食べることには困らないが、国家が前進しているとも言えない状態で、何を糧に生きていいのかわからない時代です。じゃあ個人でYoutuberになったり、アフィリエイターになって一攫千金でも夢見た方がいいのでしょうか?

インターネットでお金を稼いだところで、若い頃は自由に使えるお金が増え、さらに成功すればそれを仕事にできて楽しいかもしれませんが、三島由紀夫の言葉にある通り、自分のためだけに生きるということは、すぐに飽きてしまいます。
 
じゃあどうすればいいのでしょうか?
 
答えは、生きる意味などなくても生きていけるようになることです。

なぜなら意味がないと生きていけない人は、意味を失ってしまったら生きていけなくなるからです。

なので逆説的ですが、えいらんずも子供ができなくても、もし離婚をしてしまったとしても生きていけるような強い人間になろうと思いました。

eiranzu

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