便利で豊かな社会になると人は不幸になる

最終更新日

Comments: 0

以前の記事、「生きる意味を失った社会」、「日本衰退」で下記のように書きました。

 

「昔は、それこそ戦前や戦時中は、『今日食べること』こそ生きる意味であったといえます」

 

「少なくとも戦後以降は物質的な豊かさを求めることを目標とし、それを実現することで幸せを感じることができた時代でした」

 

科学の発展によって、今や一部の途上国を除いて物質的豊かさはゴールではなくなりました。今先進国を中心とした各国が躍起になって取り組んでいるのが、AIやロボットを使用した自動化です。

AIやロボットが当たり前の時代になることで、これからますます便利になり、今まで人が行っていた単純作業はロボットに任せられます。

そもそも仕事の8割方は程度の差こそあれ、慣れてしまえば単純作業になってしまいます。少し難しい仕事、例えば人間の判断を伴うような仕事も、将来的にAIの精度が上がれば、ロボットは人間が働く以上に高いパフォーマンスを出せるでしょう。

では仮に、地球上のほぼ全ての仕事をロボットができるようになり、人間が働く必要がなくなった時、人間は何をするのでしょうか?

こんな話があります。


” ウサギ狩りをする人はウサギが欲しいのではない ”

 

これからウサギ狩りにいこうとしている人に、ウサギをあげたら恐らく嫌な顔をされるでしょう。なぜなら、彼の本当の目的はウサギを手に入れることではなく、ウサギを狩るという行為そのものだからです。

 

アフリカのサバンナで生きるライオンは、生きるために草食動物を狩っています。狩りはいつも成功するわけではなく、失敗続きでいつまでも獲物が捕れずに餓死していくライオンも多いでしょう。一方で、動物園のライオンは何もしないで労力なしに確実に食べ物を得られます。

では動物園のライオンの方が幸せなのでしょうか?

サバンナで狩りをしているライオンは、その瞬間目がギラギラとしていて、生き生きとしているように見えますが、動物園のライオンは目が死んでいるように見えます。

どちらのライオンも生きるために食べるという共通の目的がありますが、檻の中で死んだように寝転がるだけのライオンを見ていると、狩りをすること自体が彼らにとっての生きる意味なのではと思わざるを得ません。なので、狩りをする自由を奪われたライオンは、生きる意味を失っているようにえいらんずには見えるのです。

 

さて、これを人間にあてはめるとどうでしょうか。

 

ロボットが仕事をやってくれる代わりに、人間は働かずにして生きられるようになったとして、それは幸せなことでしょうか?

全く働かないのは極論としても、ロボットが生み出してくれた膨大な時間を使って人間は一体何をするべきでしょうか。

というかそもそも自由に使える時間を手にした暁に、思う存分にしたいことなど本当にあるのでしょうか?

長時間労働に不満を述べて、いざ長期休暇ができると暇を持て余すのが今の日本人です。

 

もう一つ例を出すと、車の自動運転の実証実験がタクシーやバスなどの公共の交通機関を中心に進んでいますが、確かに年寄りにとっては、事故を起こす心配も道に迷う心配もないので、自動運転はいいシステムだと思います。

でもえいらんずは車の運転自体が好きなので、自動運転に魅力を感じません。むしろ、人間が際限なく楽なもの、効率のいいことを求めることに対してそこはかとない恐ろしささえ感じています。

そして100年単位で人間の運転能力を奪うのは明らかです。車の運転技術は(特に普通乗用車であれば)習得が容易で、大した影響はありませんが、自動運転をAIに置き換えると、人間の思考能力が長期間に亘って低下していくことになります。

面倒だと思ってやっていたことの一つ一つが、実は生活を意味のあるものにしていたので、便利で豊かな社会になり、することがなくなると人は不幸になります。

なので、今後は効率化を推し進めた結果、得られる余暇をどのように使うかが焦点となってきます。

eiranzu

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

コメントする